父母のメール
柳岡克子  和歌山県御坊市
2年前、父が80歳の傘寿の同窓会に行った。年々病気を理由に欠席する友達が増え、お亡くなりになる方もいて寂しくなるがおかげさまで元気に参加した。携帯電話の番号を教え合って直接つながる喜びを感じながらメールというものを教えてもらったようだ。

 そこで、私は父の日にスマートフォンをプレゼントした。友達から使い方を教えてもらって夢中になり、恋人同士みたいに「阪神勝ったぞ」「見てる」とか「今から寝る」「わしも」とかしょうもないやりとりを楽しみにしているが送る相手は数少ない。そこで母の日に弟が父と同じ携帯電話の色違いをプレゼントした。父は、母にメールの使い方を教えるのが楽しみで、どちらも80歳を過ぎての手習いに一生懸命になっていた。

 私も電話に出られないことが多く2人にメールできることを喜んだ。母は、私たちのメールを読むところまでマスターしてくれるようになったが、打つのは難しいようだ。父はスケジュールまで入力できるようになって、ゴルフの予定を入れては、何日後だと楽しみにしている。

 母にメールを送った。

 父「今日は、帰り遅くなる」母「了解」

 次の日。弟「今日は、晩ご飯いらない」母「了解」

 次の日。私「今日は、かに鍋にして」母「無理」

 私は「無理」を打つことができるようになったことをうれしく思ったが、ほめていいのか、悲しんでいいのか?

 がっかりした私が帰ったら、豪華なかに鍋だった。「了解」以外の言葉を打てるようになった喜びに輪をかけて、家族そろった日にかに鍋を食べることができた。母は、自分へのご褒美のつもりだったかもしれない。それからというものレベルアップした母から「帰りに牛乳買ってきて」というようなお使いが増えた。