わかやま新報 紀州発をんな情豊局

車いすの元気配達人  

2014年 10月 12日

10月10日掲載
 命の大切さ伝える

 若者との交流惜しまず

 
 御坊市で平成15年から男女共同参画推進グループ「ウイズ・ア・スマイル」の会長をしてきた柳岡克子(やなおか・よしこ)さん。男の料理教室や介護教室の開催、女性の視点から避難所運営を考えた訓練などを企画。この春11年間務めた会長を、子育て世代にバトンタッチした。また、御坊市の「身体障害者福祉協会」の会長を、この春までの10年間務めてきた。日高新報・紀州新聞に毎月エッセーも執筆している。数多くの資格を持ち、幅広く活動する彼女を紹介する。
                      (中村 聖代)

【薬学部卒のリケジョ】
 柳岡さんは大学で薬学を専攻。薬剤師としてドラッグストアに勤めていた時、スポーツファーマシストという資格を取った。そのこともあって現在もドーピング予防の講座を開催している。

 介護支援専門員でもあり、市の介護保険事業計画策定委員や認知症サポーター養成講座の講師をするかたわら、今年社会福祉士にも合格した。

 また、昨年、県企業振興課が募集したわかやま塾1期生を修了し、その有志で「わかやま塾ネクスト」の立ち上げに協力した世話役のひとりでもある。

【障がいを感じさせない明るさ】
 そんな柳岡さんは、車いすを使っている重度の障がい者である。自身で車を運転して取材に応じてくれた。
「自分でも障がい者だということを忘れています」とあっけらかんと話す。

 生まれつき手足に障がいがあったが、母親の送り迎えで健常児と一緒に普通の幼稚園小中学校に通い、日高高校を卒業した。

 「できることは何でもさせる・前向きに考える母親の育て方が今の私を作っています」。
大学は、親元を離れ神戸学院大学に進んだ。

【卓球との出会いとその後】
 卓球を始めたのは28歳の時。持ち前の頑張りで、身体がい害者スポーツ大会広島大会では金メダルを受賞。パラリンピックをめざしアメリカや台湾・ベルギーで好成績を残した。だが、シドニーパラリンピック直前に大病を患い、引退を余儀なくされる。柳岡さん33歳の時だった。

 それから10年近く入退院を繰り返し、5年前に緊急手術。
 「ドクターヘリで御坊市の病院から和医大へ運ばれ、命を助けてもらった経験から、多くの人の役に立ちたいと思うようになりました」。

 柳岡さんは、自宅で長く「総合学習センター柳岡塾」を開き、非行や不登校の子どもに体当たりで指導してきた。また、キャリアカウンセラー(CDA)や理科教諭の資格を持ち、あちこちの中学・高校学校に出向きワークショップを開いてきた。

 そうした経験が評価を受け、今年10月からは慶風高校(田原サヨ子校長)の非常勤講師として就任することになった。「小さい頃からの夢が実現しました」と、柳岡さん。

【全国で講演活動】
 「自転車に乗れないことが悔しくて、中学生の頃自殺を考えたこともあります」。
「こんな身体でも頑張っている人がいること、命の大切さを知ってもらいたい」と、「車いすの元気配達人」として全国講演活動をする。

 彼女の話を聞くと、当たり前だと思っていることや、日常における小さな幸せがとても大切なことに気づかされ、またがんばろうという気持ちになる。一人でも多くの人に彼女の話を聞いてほしいと願う。

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