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講演の内容

 
 
 

 

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参考:システムブレーンのホームページ  ワールド企画のホームページ
1、演   題  「生きている喜び」

2、時   間  約90分

3、構   成  10分間のビデオ映像と講演

4、内   容  障害を持って生まれ、2年半の入院・手術の後、歩けたこと。
          健常児とともに幼稚園、小・中・高校に通ったエピソード。
          神戸学院大学薬学部に入り家族と離れて生活した4年間。
          薬剤師の仕事をし、障害者卓球と出会い、パラリンピックをめざす。
          病気をして命の尊さ、家族や友人の大切さを感じる。
          現在、恩返しのため、障害者、女性としてだけでなく幅広く活動中。

5、講 演 暦  小中高校・大学の生徒の授業やPTAを対象にした会。社会福祉協議会、
           老人クラブ、障害者団体や各種団体。行政・企業の研修等全国各地

6、準備いただく物  VHFビデオデッキ、プロジェクター、ピンマイク、長テーブル、スクリーン
7、感想文  
   障害者と思えないほど元気だったのでびっくりしました。
   おもしろくて、楽しくって90分があっというまでした。
   これからは体の不自由な人を見かけたら手助けしたいと思った。
   命を大切にし、物や食べ物を大事にしなくっちゃ。
   家族や友達と仲良くし、勉強して社会の役に立ちたいです。

連絡先 
〒644-0002 御坊市薗297-1 
  携帯 090-8219-0198 TEL 0738-22-1665 FAX 0738-23-1819
yokko@creamy.nax.ne.jp
総合学習センター柳岡塾 講演企画部まで

講演の内容
演題「ゼロからのスタート」
 新年を迎え、一番うれしいのは、塾の教え子からの年賀状です。「私たち結婚しました。」という葉書が毎年何通かあります。ここ数年は、かわいい赤ちゃんの写真入りの「家族が増えました。」というのが増えています。塾を卒業して10年以上も経つのに、覚えていてくれるのは教師冥利に尽きます。それに何よりも、やんちゃだった生徒が良き伴侶に恵まれ立派に親となり、家庭を築いていることにほほえましい気持ちになります。生徒だった当時を思い出しながら、頑張って欲しいとエールを送っています。その頃はややもすると人としての道を間違えてしまうのではないかと心配させられた生徒に、振り回されたこともありました。そんな時もわが塾は、成績重視の塾が多い中、人間教育に力を入れてきました。学力はその気になったら年齢に関係なくやる気があれば伸びるものです。だから、やる気を起こさせ、目標を持たせ勉強させました。まず挨拶からはじまり礼儀作法や、社会に出て役に立つ事、人として大切なことを教えてきたつもりです。また、両親とのコミュニケーションを大切にし、家族のあり方や親子の関係についてもアドバイスさせていただきました。高校入試の受験塾ということで、中学3年生は、親と子どもとの距離感が難しく、子どもの心は繊細で微妙なところで行き違いが起こります。私は間に入って潤滑油みたいな役割もしました。最近、子育てに関する内容でしゃべってほしいという依頼がPTAなどから寄せられています。それで講演では私が長年伝えてきた子育てのポイントをエピソードを交えてお母さんたちに話させてもらっています。その中から、ピックアップしてみます。
子育ては胎内教育から始まるので妊娠中は喜びいっぱいで夫婦は仲良くしよう。小さい時から、ダダをこねればかなえてくれるという癖をつけないで辛抱すること、我慢することをしつけよう。間違ったことを人のせいにしないで責任感のある子どもに育てよう。子どもにいいつけたお手伝いを言い逃れても見過ごさないで最後までやり抜かせよう。お礼目当では奉仕の心が育ちません。また人前で叱らないようにし叱るのは時と場所をわきまえよう。人前で叱ると自尊心が傷つけられ、かえって反抗的になります。悪いと分かっていても謝らなくなります。また、叱るのは1回だけ。いつまでも覚えていて持ち出すのは、子どもに恨みを植えつけ、親になじまなくなります。怒ると叱るは違います。感情で怒らないで愛情のこもった叱り方が効きます。サンドイッチ方式(ほめて、叱って、ほめる)が効果的です。親は子の手本となる生活をしよう。例えば「けんかは良くない。」といいながら夫婦げんかばかりだったり「人の影口をいうな。」といって、誰かの悪口を言ってるのを子どもが聞いたら、親の権威や信用がなくなります。約束は破らない。かくしごとをしない。子どものために残せるものは財産ではありません。自分が死んだ後、「あの人の子どもならきっといい人なんだろう。」と言ってもらえるような生き方をしよう。「なぜ」と聞いたら無視しないのが好奇心を育てます。考える能力を身に付けるには答えを教えるのではなく一緒に調べるか、お父さんに聞くように薦めるのがいい。「がんばってお父さんみたいになろう」と父親を尊敬させる。これは一石二鳥で夫も家族のためにがんばって働くようになります。スキンシップを大切にし、よかったら抱きしめるぐらいほめる。朝いってらっしゃいと握手をしながら笑顔で見送ると子どもの心は落ち着きます。兄弟を比べないで一人ひとりの個性を生かし、家族そろって食事をしながらコミュニケーションの時間を大切にしましょう。家庭が子どもにとって居心地のいい場所であるかどうか。笑顔あふれる家庭は母親にかかっています。夢や希望を持った子どもに育てよう。進路は自分で選ばせるのがいい。目標に向かってがんばる事はどんな結果になっても子どもの生きる力となって役立ちます。
また子育てだけでなく人間関係で「うまくいくコツ」を話させてもらっています。例えば"こそ"というコトバを相手につけると、相手への思いやりの気持ちや会話にも愛情が生まれてきます。「私だからこそあなたの妻でいてあげられる」と言うとけんかになります。「私みたいな妻でも、あなただからこそそばにおいてくれるのね」これならうまくいきます。夫婦だけのことではなく、恋人同士や友達、同僚など対人関係すべてにあてはまるのです。「・・・してくれない」と嘆くよりも、見返りを求めずに、まず相手にしてあげること。相手のことを思いやったり、尽くしたり、愛を与えることで心は満たされ、幸せな気持ちになります。そして、それは知らないうちに、愛されて、与えられ、自分に返ってきます。人の悪いところや欠点はすぐに目に付きます。しかし、そんな時でも良いところを見つけて「あの人のここが好き」「ここは見習いたい」と素直にいえる人には自然と人が集まってきます。謙虚な姿勢で、"見習わせてもらおう"という気持ちを持ちましょう。腹の立つことがあっても、「自分はそのような不愉快な思いを人にさせないように気をつけよう。」と思いを変えることです。トラブルが起こった時、相手が悪いと思っているうちは解決しません。運命を受け入れ、反省し、怒られたのではなく教えてもらったと受け止められた時、好転するのです。対人関係で悩む人が多いですがすべてに感謝の気持ちを持ち自分の心のうつわを大きくしプラス思考で喜ぶ事でトラブルがなくなります。
また、幸せの受け止め方についてもお話させてもらっています。私たちは、毎日当たり前のように暮らしています。でも、病気になったとき、初めて健康な体のありがたさに気づき、親元を離れて、初めて家族の大切さを知ります。毎日、ごく当たり前のように思っていたことが、実はとても幸せだったことに気づきます。もっと美人に、もっとお金持ちにと欲を言えばきりがありません。ない物ねだりです。人は皆それぞれ悩みがあるでしょう。親が病気。商売がうまくいかない。子どもが言うことを聞かない。家計が苦しい。それをどう乗越えていくかはご自身の考え方次第なのです。悩んでも解決しません。暗い顔をせず、しんどい時こそ笑顔で吹き飛ばそう。「笑顔に寄りつく不幸なし。」
最後に、母の"ゼロからのスタート"という言葉について話します。「障害のある子どもを持って大変ですね。」と言う人に対して、「生まれた時から一生寝たきりと言われ、ゼロ点だったので100点分の喜びを与えてもらいました。克子が歩いたことも喜び。学校へ行けたこともすべてが喜びでした。」と。「60点ぐらいで生まれたなら後40点分しか喜びを与えてもらえなかっただろうから私の方が幸せです。」と。「気持ちの持ちようです。悲しいと泣いても解決しません。できないとあきらめるのではなく、できることを増やす。できたことを喜ぼう。感謝にあふれた生活に幸せは近づいてくるのです。」と。

●「天の銀行」より抜粋
 私は、10年ぐらい前から全国各地を講演活動させてもらっています。地元でもさせてもらい新聞にも掲載していただきましたが、紙面には字数という制限があり一時間半の講演でも一分で読める記事になってしまいます。90分の前半は私の生い立ちから卓球をはじめたところまでです。ビデオ上映をはさんで、後半が私の一番伝えたい部分なのですが、その頃にはほとんどマスコミの方は帰られます。先日、加古川市の老人大学OBの研修会で500人の高齢者の前でお話させていただきました。母も付いていってくれたのですが、帰りがけに皆握手を求めてくれ涙を流して感動してくれました。何がよかったのか私も知りたくて大人の会ではあまり取らないアンケートといった感想文を書いてもらいました。<BR>
 その中で、一番大勢の方がよかったと書いてくださった内容が天の銀行に関するものでした。人の知らないところで働き、目に見える銀行に貯金されないお給料は「天の銀行」に貯金されるという話です。仏教では徳を積むと言うそうです。拝金主義の社会では損だと思われがちの地道な仕事やお金にならない活動でもきっと神様、仏様が見ていてくださると思えば無駄ではないのです。いつか喜びとなって巡ってくると私は信じていると言わせていただきました。そのような精神の人が増えれば幸せな人が増え、平和な世の中になるとも。では具体的に徳を積むとはどのようなことを言うのか考えてみました。人に親切にする。困っている人を進んで助ける。いつも笑顔でやさしい言葉を使う。仕事や勉強につとめ励む。自分がして欲しいことを人にする。人が嫌がることはしない。先生や年上の人を尊ぶ。まわりの人と仲良くする。人の良い所を見つけて悪口を言わない。お世話になったら何倍もお返ししようと努める。時間や約束を守り、うそを言わない。無駄遣いをしないで始末にし、すべてのものや人を大切にする。家族は仲良く助け合う。まあ、こんなところかなと思いますが、改めて私が加古川まで行って言わなくてもと思いますが今の世の中この精神が失われつつあるのだそうです。だからこそ感想文によりますと「思い出させてくれてありがとう。」となるのです。実際私もどこかで習ったことはあるがいつだったかどこでだったか思い出せないが大切なこと。あたりまえだと思って忘れていたこと。なのです。ところがこれが教育勅語の口語文訳と一致するところが多いのです。阪神の星野氏が逮捕前の村上容疑者に「天罰が下る」と言及したことはテレビで有名な話ですが、学校では「悪いことをしたらバチが当たる。」とは教えられないのです。宗教教育もダメで、神様も仏様も学問として習うのです。にもかかわらず、結婚式はチャペルやお宮で、死んだらお寺で葬式をする日本人の心の教育を教育機関が指導できない戦後教育のひずみを今しっかり見直そうというのが道徳教育の教科化につながると思います。<BR>
 500人もの大勢の加古川の80代のお年寄りたちは皆元気でいきいきして月1回の研修を楽しみにしているとのことでした。元気でない人は来ていないけど・・・。人口比率10分の一の御坊と比べても意味がありませんが、おしゃれで若々しく「元気をもらったので長生きして老後のために勉強するのですよ。」と帰っていかれました。
 
30年前の私
 私が中学1年生の時、弁論大会で発表した作文


  生きている喜び
                               御坊中学校1年 柳岡 克子

 近ごろ、青少年の自殺が増えてきているように思います。毎日のように新聞に中学生や高校生の自殺が出ています。どうして自分で死を選び命をたつのでしょうか。自殺しなければならないほど苦しいことがあったのでしょうか。わたしはどんなに苦しいことがあっても生きていれば、きっと生きている喜びがわかるということを言いたいのです。
 わたしは、5年生の時ヘレンケラーの本を読みました。この本を読んで生きている喜びがわかったのでした。三重の苦しみを持ったヘレンケラーに比べれば、ずっとしあわせだということがわかったからです。わたしは階段を登るにもおりるにも友だちの手を借りなければなりません。そのたびにみんなと同じように走ったりすることができたらなと思いました。しかしわたしは目も見え、耳も聞こえいいたいことが自由にいえる。だからこそ、今のように元気で生きていられることがありがたいのです。ヘレンケラーはからだの不自由な人々に、勇気を与えてだれにも負けず、望みを失わず、明るく生きることを教えてくれました。わたしは望みを失って自殺をしようとしている人にせいいっぱい生きて、生きている喜びを味わってほしいと思います。
 死んでしまえば楽になると思っている人が多いでしょう。死んでしまえば楽になるのでしょうか。れいのわかる人は、もっと苦しい世界にはいるといいますがそのようなことはわたしたちにはわかりません。
しかし、あとに残った人々がどのように悲しむかなど考えてもみなかったでしょう。人のことを考えもしないで自分かってに、命をそまつにして、自殺するような人が許せません。と同時にわたしたちは決してひとりでは生きていくことができません。それなのに、大切な命をそまつにしないようにしてほしいと思います。
 今から32年前、戦争という国と国との争いのため、どんなに生きていたくてもある時は戦場で、ある時は空しゅうでたくさんの人々が死にました。32年たった今の世の中は平和でほしいものがあれば店に売っている。けがをすれば病院へ行くとなおしてくれる。わたしたちは、このように世の中に、人々に、親にたよっています。だからちょっとしたことで自殺までしようとするのです。そのようなあまえたことでどうするのです。わたしたちは、これから、将来おとなになっていくあいだいろいろなことに出合うでしょう。しかし、なにごとにもくじけずに、どうどうと生きていこうではありませんか。自ら命をたつようなことはしないで、お互いになやみごとを話し合い自分に強く生きていきましょう。