生きている喜び(第1回中学生の主張) 御坊ライオンズクラブ主催
昭和52年1月22日 勤労青少年ホーム
                                        御坊中学校1年 柳岡 克子
 
 近ごろ、青少年の自殺が増えてきているように思います。毎日のように新聞に中学生や高校生の自殺が出ています。どうして自分で死を選び命をたつのでしょうか。自殺しなければならないほど苦しいことがあったのでしょうか。わたしはどんなに苦しいことがあっても生きていれば、きっと生きている喜びがわかるということを言いたいのです。
 わたしは、5年生の時ヘレンケラーの本を読みました。この本を読んで生きている喜びがわかったのでした。三重の苦しみを持ったヘレンケラーに比べれば、ずっとしあわせだということがわかったからです。わたしは階段を登るにもおりるにも友だちの手を借りなければなりません。そのたびにみんなと同じように走ったりすることができたらなと思いました。しかしわたしは目も見え、耳も聞こえいいたいことが自由にいえる。だからこそ、今のように元気で生きていられることがありがたいのです。ヘレンケラーはからだの不自由な人々に、勇気を与えてだれにも負けず、望みを失わず、明るく生きることを教えてくれました。わたしは望みを失って自殺をしようとしている人にせいいっぱい生きて、生きている喜びを味わってほしいと思います。
 死んでしまえば楽になると思っている人が多いでしょう。死んでしまえば楽になるのでしょうか。れいのわかる人は、もっと苦しい世界にはいるといいますがそのようなことはわたしたちにはわかりません。
しかし、あとに残った人々がどのように悲しむかなど考えてもみなかったでしょう。人のことを考えもしないで自分かってに、命をそまつにして、自殺するような人が許せません。と同時にわたしたちは決してひとりでは生きていくことができません。それなのに、大切な命をそまつにしないようにしてほしいと思います。
 今から32年前、戦争という国と国との争いのため、どんなに生きていたくてもある時は戦場で、ある時は空しゅうでたくさんの人々が死にました。32年たった今の世の中は平和でほしいものがあれば店に売っている。けがをすれば病院へ行くとなおしてくれる。わたしたちは、このように世の中に、人々に、親にたよっています。だからちょっとしたことで自殺までしようとするのです。そのようなあまえたことでどうするのです。わたしたちは、これから、将来おとなになっていくあいだいろいろなことに出合うでしょう。しかし、なにごとにもくじけずに、どうどうと生きていこうではありませんか。自ら命をたつようなことはしないで、お互いになやみごとを話し合い自分に強く生きていきましょう。