障害を感じさせないチャレンジャー(インタビュー形式)
*パラリンピックに挑戦していたのですか?
 はい。私は、生まれつき四肢関節拘縮症(両手足の関節があまり動かない)という障害を持っていて、生後1ヶ月からいくつもの手術を繰り返し、2歳半でやっと歩けるようになりました。母の送り迎えで健常児と同じ小中高校に行ったものの、体育の時間は見学ばかりでスポーツなどできるとは思っていませんでした。そんな私が30歳を前に障害者卓球と出会い、世界の大会(アメリカ、台湾、ベルギー)に行けるようになったのです。クラス6(手足に障害の立位)ではここ数年、全国大会でメダル取っています。
*薬学部を卒業されたんですね
 小さい頃から医療の世話になっていて、自分も医療の分野で恩返しがしたいと思いました。大学時代は薬学研究会に入り、皆に親切にしてもらいました。卒業後は昼間ドラッグストアで管理薬剤師として勤めました。夜は自宅で学習塾を経営しています。教職課程を取って理科の教諭の免許を持っていたので、中学3年から高校3年までの受験塾です。勉強だけでなく人間教育にも力を入れていて、当時問題のあった生徒も今はりっぱな社会人になっています。神戸学院大学にも何人か卒業生を送っていますよ。
*受験の日が初めての神戸だったそうですね
 親戚も知り合いも誰もいない大学へ親がよく行かせてくれたものだと・・。あすか寮に入りすばらしい仲間に恵まれたことが一番幸せでした。大学生活を楽しく続けられ卒業できたのも、障害者だからといって特別扱いせず普通に接してくれ、本当に助けの欲しい時に遠慮なく力を貸してくれたあすか寮の友達や先輩、後輩のおかげなのです。
*御坊市身体障害者福祉協会の会長だとか?
 前会長は80歳で私は40歳になったばかりでしかも女性なのにとも思いましたが、せっかく与えられたお役目だからお引き受けしました。卒業した頃は、自分が障害者であるにもかかわらず障害者のことをあまり知りませんでした。地元で生活していると私より不自由な障害者がたくさんいていろんなことで困っていることを知りました。そんな障害者の願いを行政や多くの人に知ってもらいたいと思いました。それで介護支援専門員や福祉住環境コーディネーター2級の資格を取り老人保健施設で実習したり、支援費制度の研究をしました。会長として手話や点字も習い聴覚や視覚の障害者の立場にも立てるように努力しています。県の障害者連盟の参与や相談員をしているとこんな重度の障害があるのに大学まで行かせてもらえたことが本当にありがたいことなのだとつくづく感じます。その日を生きるのに精一杯の人の切実な要望をしっかり受け止め相談に乗って解決していくのが私の役目です。和歌山市まで県の会議にも頻繁に出かけます。
*何で行くのですか?
 18歳で手動式(押したらブレーキ、引いたらアクセル)の車の免許を取って21年以上無事故無違反です。大学へもキャンパスへ特別に乗り入れさせてもらい寮から通いました。1回生の夏休みに免許をとるまでの1学期は明石までバスに乗って買い物に行くのに苦労しました。でも見知らぬ人が荷物持ってくれたり、人のやさしさに感謝しています。卓球の練習も車で行きます。月1回じゃとても足らず、中学校の先生に放課後コーチしてもらいに行ったり、母校の高校の卓球部に紛れ込んだり、地元の卓球サークルに入れてもらったりして練習しています。
*ウイズ・ア・スマイルの会長でもあるとか?
 障害者の会長になる時「女のくせに」と言われたことが引っかかって男女共同参画について勉強したんです。薬剤師でいるとあまり女性だからといって社会的に不利なことは感じられないのですが、女性が仕事をしたり、会長になったりすることに抵抗があります。男は男らしく女は女らしく、伝統文化を大切にすることを忘れないで、男女が共に力を合わせた社会を作り、働く女性を応援しようと御坊市でできた会です。男の介護教室や料理教室をしたり、女性の立場でまちづくりを考えるタウントークを企画運営したりしています。会長としての勉強のため、県が募集した「女性のつばさ」でアメリカ、カナダの女性施策を視察にも行きました。世界を知ることはこれからの日本を考える上で大切なこと。国際的な視野に立って良いものは取り入れ、そうでないものは改めていく柔軟な感性が必要。それには女性だとか障害者だとかのバリアがあってはならないと思います。
*まちづくり会議わいわいGOBOて何ですか
 御坊市を活気のある街にしようと集まった会です。私は4年目に会長をさせてもらい、私のアイデアで「いこらDEソーラン」ができました。毎月1回朝小中学校での挨拶運動や堤防のゴミ拾いなどもやってます。青少年の健全育成に力を入れたいというのが根底にあります。
*趣味は何ですか?
 中学では吹奏楽部でドラムをたたいていました。高校では合唱部でソプラノを、大学時代も明石混声合唱団で歌っていました。今は川柳をしています。「ここちよしこ」という名前で当句しています。
*話しをしていると障害を感じないのですが
 父母弟の4人家族ですが障害者として育ったわけではありません。ごく普通の笑いの絶えない面白い家庭です。縁があれば結婚をし新しい家庭を築きたいです。仲のいい両親が理想なので婚期が遅れてしまいました。
*病気をしたそうですが
 シドニーの予選前は卓球の練習をかなりがんばっていて、足が痛くなりました。錠剤の非ステロイド性解熱鎮痛剤を使い、副作用で胃を悪くし、座薬で腸管から出血しトイレで意識を失い倒れました。幸い発見が早く命を取り留めましたがその後しばらく何も食べることができず、改めて健康のありがたさを感じました。多くの人が心配してくれ本当にうれしかったのですが、中でも昔の教え子が「先生に元気もらったから、先生の元気ないときには元気あげる」と嫁さんと子どもをつれて駆けつけてくれ数年ぶりの再会でりっぱに働いている様子を聞き、教師冥利につきました。その後も練習すれば痛み、薬を飲めば下血し入退院を繰り返しました。薬のことを知っているのに使ってしまう人間の弱さを感じます。これからは卓球も程々にして体を大切にしたいと思います。
*講演活動もされているとか
 「きらっといきる」というNHK教育テレビにゲスト出演して以来、いつも前向きで輝いて生きている女性として、全国各地で「生きている喜び」という講演をしています。講演では、生まれてから大学までのおいたち、卒業後の仕事、卓球との出会い、現在の活動について話します。病気をして以来、命の尊さを感じ、助かった命を多くの人へ恩返しのために使いたいと思うようになりました。自殺をする人が増える中、生きることに疲れた人に希望をもってもらいたい。そのために聞いて下さる講演ならどこでも行きます。私は見えないところに天の銀行があって、人の知らないところで役に立てるとその働きは天の銀行に貯金されると考えます。徳を積むと言って天の銀行にたくさん貯金のある人はいつか喜びとなって返されると信じています。天の銀行に貯金のできる人が増えれば世界は平和になると思います。逆に誰も見ていないからと悪いことをする人がいるから世の中が乱れるのです。誰にだって苦労はあります。困難なことが起きた時どう乗り越えていくかで大きく変わります。私の講演を聞いて前向きに頑張ろうと元気になってもらいたいです。ひとりでも多くの人が生きている喜びを感じてもらえれば私を支え助けてくれた多くの皆様への恩返しになるような気がします。

高市早苗氏の結婚披露宴の後、同ホテルでインタビューに答えてくれました。柳岡さんは簿記や宅建やFPや行政書士、調理師や医療事務や甲種危険物の資格も持っているとか。とにかくチャレンジャーなのです。次の目標は社労士だそうです。講演の依頼など連絡先は、〒644-0002 和歌山県御坊市薗297-1 0738-22-1665、fax0738-23-1819まで
インターネットで「柳岡克子」と検索すると講演の内容や最近の活動や卓球の成績が出てきます。