御坊念法寺創立55年祭を迎えて
 合掌。念法の仏様がここ御坊の地においで下さいまして、55年を迎えました。この55年間お守りいただいた感謝の気持ちを込めて喜び一杯に体験を発表させていただきます。
今日元気な体で発表できますのも仏様のおかげです。この発表を住職先生から頼まれた時、すぐにお引き受けさせていただきました。ちょうど会社の健康診断で血尿が出て精密検査をするように言われていたからです。泌尿器科の先生は、「CTによる精密検査では腎臓に石があって暴れている。苦しいはずだが痛みがないのが不思議。」と首をかしげました。私は今日の55年祭を元気に迎えられますよう仏様にお祈りしました。そしたら何の痛みもなくこの石がおしっこの際に出てきたのです。尿路結石を経験された方ならどれほど苦しいかおわかりいただけますでしょうが、陣痛以上だそうです。その苦しみもなく石が出てきましたことは仏様のおかげです。55年祭の節目に悪いものを出してくださったのだと思います。
 私は、東京オリンピックの年にここ御坊で生まれましたが、あちこちに異常があり和歌山市の大きな病院へ入院することになりました。生後1ヶ月から手や足の手術を繰り返しリハビリやマッサージをし、私は赤ちゃんで何も知りませんが、母が付き添い大変だったと思います。実家が浄土真宗のお寺だったにもかかわらず、あちこちの拝み屋や宗教を頼って必死だったそうです。そんな時、毎日見舞いに来てくれる和歌山市に住んでいる母の姉の隣の方が念法さんの信者さんでした。姪が入院していることを聞いて当時納定念法教会に親先生がご親教に来てくださるとのことで、初めて母が私を連れて行きました。歩けなかった私が親先生の前で歩けたのです。母はすぐに入信し、先祖供養など因縁の切り替えを教えてもらい、笑顔や家族仲良くするなど教えの実践に励みました。
私は、そんな母の信心のおかげで健常児と同じ普通の学校へ行くことが出来ました。高校1年の時お得度を受けさせてもらいました。その時知り合った方に紹介された神戸学院大学の薬学部に合格し、神戸念法寺西部道場(現明石念法寺)のすぐ近くに下宿することになりました。一人暮らしはいろいろ苦労もありましたが、大学の帰りにはお参りさせてもらい、試験の前には特に真剣にお願いしました。
おかげで薬剤師の国家試験に合格し、薬局へ勤めながら自宅で塾を始めました。念法さんの社会学級や北方領土視察研修旅行にも参加させてもらい、子どもたちの教科書を読みながら歴史教育の偏向に怒りを感じました。そこで勉強が終わったら法語集を生徒に読んでもらい握手で見送るという教えの実践を始めました。そうすると今まで勉強が嫌いだった子どもが、素直ないい子になり、高校入試の前には一緒に念法さんへお参りしてご祈願をして皆合格させてもらいました。ある日生徒が「先生とこのお母さんとお父さんは毎日一緒にお風呂入るんやなあ。仲ええなあ」と言いました。最近は家族で食事を一緒にすることも少なくなっているそうで、わが家ではあたりまえの家族の風景が仲良く感じられたのだそうです。今は父も弟もお得度を受け、家族皆教師にならせてもらっています。4年前、紀伊田辺念法寺御坊布教所が御坊念法寺となるにあたり建築中、わが家の田んぼに仮道場としてプレハブを建てて仏様に来ていただくことができました。
またある時、障害者の卓球と出会いました。次第に大きな大会にも出させてもらえるようになり、日本一になり世界の大会にも出場させてもらいました。アメリカの大会に出場した時の作文が障害福祉賞をいただいたことがきっかけでNHK教育テレビ「きらっといきる」にゲスト出演させてもらいました。
パラリンピックに出たいという夢を抱き、仕事と卓球の練習に明け暮れていた時、トイレで出血し意識不明で倒れました。たまたま昼間で家族がいたので発見が早く命を取りとめました。その時「もし夜中だったら死んでいたかもと思うと仏様に助けてもらったんだ」と思いました。潰瘍性大腸炎という難病と診断され、入院のたびに点滴生活になり、何も食べられなくなります。初めて出てきたスプーン一杯のおかゆがありがたく、口から食べることをあたりまえのように思っていましたが、おいしくてもったいなくて手を合わさずにはいられませんでした。今までは念法さんの信仰は母がやってくれていると安心して、元気でいることに感謝を忘れていました。
しかし、私はもともと親先生に「多くの人の役に立つなら助けるぞ」と言われ、歩けるようにしてもらった命で、医者にも「一生寝たきり」と見放されていたのを助けていただいたのです。入信した頃から、奇跡の回復ぶりに医者もびっくりしたそうです。そんなことは全く知らず、私自身の信心が出来ていませんでした。仏様に守っていただいて今の自分があるんだということを改めて気づかせてもらい、生まれ変わった気持ちで多くの人の役にたたせてもらおうと思いました。
そこで地域の障害者団体の会長をさせてもらうことになりました。このような不自由な体ですからお寺のお手伝いなどできないこともあります。しかし私にしかできないこともあるのではと考え、今まで仏様に助けていただいたことをお話させてもらい、お導きさせてもらいました。まず、一日一人を目標に念法さんのありがたいことを伝えさせてもらうことにしました。毎日続けているとだんだん同じ人ばかりになってきますが、向こうから「聞かせて」とか「お寺へ連れって」と言ってくれることもあります。そんな時は、「どうか仏様のご縁をいただかれ幸せになってもらえますように」とご真言を唱えさせてもらいました。また、日本会議和歌山に女性の会ができた時には喜んで副会長のお役を引き受けさせてもらいました。これからは日本のため念法社会学級で習ったことを広めていきたいと思っています。
今では、障害があっても幸せな生き方ができるということを念法の「ネ」も言わず全国各地に講演に行かせてもらっています。ドラッグストアでは6月の薬事法の改正で、本店に転勤となり1類の医薬品の販売に加え、調剤業務が増えました。「この人何か信仰してるんじゃないか?」と患者さんに気づかれるぐらい明るい笑顔で薬を渡したいと心がけています。
この御坊に仏様が来て下さったご縁に感謝し、初代山本香現先生、先代横倉良華先生のご尽力に感謝し、塚本良淑住職のご指導のもと、これからも御坊念法寺のますますの大きなお守りに私たち信徒一同は心を一つにしてがんばらせてもらう決意です。そして仏様によって多くの人が救われ、来年の念法真教85年祭をお迎えできますよう、住み良い世の中づくりの仲間が増えますことを祈り体験発表とさせていただきます。                            再合掌