母校御坊中学校で講演して
〜30年前を振り返る〜
  先日、母校御坊中学校で講演をさせていただきました。入学して30年経ち、同級生のお子様がいたり、先生が私より若かったり、時間の経過を感じさせられました。しかし、私の入学に際して取り付けてくれた玄関の手すりなどそのままの形で残っていて、校舎も体育館も同じでうれしかったです。当事友だちに手を貸してもらわなければ上がれなかった段差がスロープになっていたのには驚きでした。これがバリアフリーなんだと。こんな言葉もなかった時代ですから。それより驚いたのは、生徒数が半分になっているではありませんか。6クラス240名いた私たちの半分なのです。少子化を改めて感じました。人口も減っているけど子どもがこんなに減ってしまって。でも私の同級生も大学に出たまま都会で生活している人が多いし、市外へお嫁に行ったり、私のように独身だったり、結婚しても子どもがいなかったり、親たちの世代ように多くの子どもがいるなど少ないです。
 私は、ここ10年ぐらい前からあちこちで講演させてもらっています。今回初めて母校ということで、30年前の私を探し出しました。昭和53年1月22日日曜日、勤労青少年ホームで行われた御坊ライオンズクラブ主催の日高地方第1回「中学生の主張」という弁論大会へ出場したときの原稿です。この弁論大会については、1月25日の紀州新聞の「今日に思う」でH氏がコメントを寄せてくれています。また、その日の水曜随想では当事の御坊市教育長高垣俊雄氏が、2月15日には叶邇堂専務の高間英幸氏が平成9年2月18日には岡本殖産社長岡本崇氏がそれぞれ感想を書いてくださっています。その原稿を生徒の前で読みました。当時の原稿のまま以下に書きたいと思います。
   生きている喜び
御坊中学校1年 柳岡 克子
 近ごろ、青少年の自殺が増えてきているように思います。毎日のように新聞に中学生や高校生の自殺が出ています。どうして自分で死を選び命をたつのでしょうか。自殺しなければならないほど苦しいことがあったのでしょうか。わたしはどんなに苦しいことがあっても生きていれば、きっと生きている喜びがわかるということを言いたいのです。
 わたしは、5年生の時ヘレンケラーの本を読みました。この本を読んで生きている喜びがわかったのでした。三重の苦しみを持ったヘレンケラーに比べれば、ずっとしあわせだということがわかったからです。わたしは階段を登るにもおりるにも友だちの手を借りなければなりません。そのたびにみんなと同じように走ったりすることができたらなと思いました。しかしわたしは目も見え、耳も聞こえいいたいことが自由にいえる。だからこそ、今のように元気で生きていられることがありがたいのです。ヘレンケラーはからだの不自由な人々に、勇気を与えてだれにも負けず、望みを失わず、明るく生きることを教えてくれました。わたしは望みを失って自殺をしようとしている人にせいいっぱい生きて、生きている喜びを味わってほしいと思います。
 死んでしまえば楽になると思っている人が多いでしょう。死んでしまえば楽になるのでしょうか。れいのわかる人は、もっと苦しい世界にはいるといいますがそのようなことはわたしたちにはわかりません。
しかし、あとに残った人々がどのように悲しむかなど考えてもみなかったでしょう。人のことを考えもしないで自分かってに、命をそまつにして、自殺するような人が許せません。と同時にわたしたちは決してひとりでは生きていくことができません。それなのに、大切な命をそまつにしないようにしてほしいと思います。
 今から32年前、戦争という国と国との争いのため、どんなに生きていたくてもある時は戦場で、ある時は空しゅうでたくさんの人々が死にました。32年たった今の世の中は平和でほしいものがあれば店に売っている。けがをすれば病院へ行くとなおしてくれる。わたしたちは、このように世の中に、人々に、親にたよっています。だからちょっとしたことで自殺までしようとするのです。そのようなあまえたことでどうするのです。わたしたちは、これから、将来おとなになっていくあいだいろいろなことに出合うでしょう。しかし、なにごとにもくじけずに、どうどうと生きていこうではありませんか。自ら命をたつようなことはしないで、お互いになやみごとを話し合い自分に強く生きていきましょう。

 30年経った今、漢字が少ないのは仕方ないとしても、文章力が今とさほど変わらないのは複雑な気持ちです。それよりこの文章の内容が時代遅れに感じないところが悲しいのです。いまだに自殺者が後を立たない現実が残念でたまらないのです。食い止めるどころかますます増え続け低年齢化していることに憤りを感じます。私は母校で講演するに当たってちょうどこの文を書いた私と同じ中学1年生を対象にということだったので、古い紀州新聞をひもとき探し出しました。今あちこちで講演している内容も原点はここから始まります。だからこそ演題は「生きている喜び」にしているのです。「生きている」のではなく「生かされている」ということに気がつくのにそれから20年ほどかかりましたが・・・。
後日生徒から感想文をいただき自分自身も励まされ元気をいただきました。静かに聴いてくれて本当にありがとう。これからも未来ある子どもたちが命を大切にしてくれるよう私は講演活動を続けたいと思います。