59、御坊市身体障害者福祉協会の会長になって
 トイレで倒れる事が重なっても、いつも間一髪のところで助かった。私にはまだ生きていかなければならない使命があるのではないかと思った。今までの人生は、体に障害があっても家族や友人など多くの方の支えや理解のおかげで特に大きな病気もせず、無遅刻無欠席で学校に行け、大学も卒業できた。卓球とも出会い勝ちたいとかパラリンピックに出たいとか夢を持つこともできた。しかしよく考えてみれば、私一人の力ではない。周りのおかげでここまでがんばれたことを考えればこれからの人生は自分のためだけに生きてはいけないような気がした。お世話になった方に直接恩返しは出来なくても私がいることで困っている方や、悩んでいる方が少しでも楽しく楽になってもらいたいと思うようになった。そんな時、御坊市身体障害者福祉協会の会長をしてほしいという話が出た。30代後半だった。しかも女性の会長は前歴がない。「若いのに偉そう」という声もあった。私は、障害者のことを何も知らなかった。会員が高齢化していた。御坊市の会長になると車を運転して和歌山市の会議に出席しなければならない。そういう条件をクリアできる人がなかった。何度も入退院を繰り返している間にドラッグストアには代わりの薬剤師が勤務していて、退職をした。経営していた学習塾も続けられなくなった。それで時間ができたので会長をさせてもらうことになった。