41、世界の壁
 いつしか私は、パラリンピックに出たいと思うようになった。パラリンピックに選ばれるには世界大会で何度も勝ってランキングポイントを取らなければならない。国内の優勝経験者の強化合宿で、香港の大会に行った人の話を聞き、世界の壁の高いことを知った。私にはとても無理だとあきらめていた時、USオープン出場の書類が届いた。その前の香港も、もう1つ前のチェコスロバキアでの大会にも選ばれることはなかった。私は、両手両足が不自由な「クラス6」という障害区分だが、障害が重すぎてダブルスを組めないので団体戦には出られない。それでもせっかくのチャンスだから行きたい。試合に出るには介助に母も付き添う。2人分の旅費や宿泊滞在費、通訳や登録料などお金がかかる。全額自己負担の上、10日ほど休むことになり仕事のやりくりも大変だ。職場の人に迷惑をかけてしまう。家族にも負担をかける。塾も講師に任せなければならない。新聞で報道された喜びの笑顔の裏には不安が広がっていた。その不安をはねのけるぐらい私は夢中になって練習した。渡米直前まで基本から試合運びまで短期間だが集中した中身の濃い練習をした。パラリンピックは、お金・技術・時間の3拍子揃った人が手にする世界だった。