37、水泳で国体予選に出る
 スカートをはくと義足がばれるからといつもズボンをはいていた祖母は、家でも外でも元気で障害者であることを感じさせなかった。御坊市身体障害者福祉協会の役員をしていて、杖も使わず、すたこら会費を集めたり、いろんな世話をしていた。障害者のスポーツ大会にも出場してメダルをもらってきた。祖母が死んだ後、会長さんが私の家に来てくれた。「よしこちゃん、今度和歌山県で障害者のスポーツ大会をするので、選手が年寄りばっかりなので、若い人を育てたいので出てくれへんかい」と言われた。水泳だったらできると偉そうに即答した。25メートル自由形を薦められた。「私50メートル泳げるのよ」という感じだった。それで御坊市のゼッケンをつけて和歌山県大会に出場した。全国大会の予選でもある。しかし、一生懸命泳いだが前に進まない。太っているからなのかとも思ったが、水泳というのは速さを競うスポーツだったことを忘れていた。50メートルのプールの端から端まで泳いだときにみんなに拍手してもらっていい気になっていた。しかし、大勢で「よーい、ドン」と競争したのは初めてで厳しかった。両腕がない方は足のキック力がものすごかった。足が不自由な方は、上半身を鍛え上げていて、腕の力が強く速かった。私は、足がほとんど動かせない上に腕の力も弱く、スピードは遅く競泳は無理だと感じた。