北朝鮮拉致被害者を救え ~子を思う40年~  
御坊市人権啓発推進協議会 副会長 柳岡克子
 北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父親・横田滋さんが、6月5日87歳でお亡くなりになりました。1997年3月、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(家族会)が結成され、滋さんは代表に就任し、拉致問題の解決に奔走してきましたが、長年の活動による疲労も重なり、2007年には家族会の代表を退きました。代表退任後も各地で被害者の帰国を訴え続けましたがその願いは果たされることがありませんでした。
1977年11月15日、当時13歳で中学1年生だった下校途中に行方不明となっためぐみさんは、私と同じ歳の青春真っ只中でした。その後、2002年、蓮池薫夫婦と地村保志夫婦、曽我ひとみさんの5人の帰国が実現しただけで進展は見られません。
私は、2003年、紀南文化会館で和歌山ブルーリボンの会(大倉勝行会長)主催、日本会議和歌山(角荘三会長)共催で、北朝鮮からの拉致被害者を救出するため横田滋・有本明弘夫妻をお招きして直接お話を聞く講演会や署名活動に参加しました。また2010年12月2日、被害者や家族の方々を励ますため、シンポジウムが開催され参加しました。シンポジウムに先立ってジャーナリストの櫻井よしこ氏が「今、日本が直面する内外の課題」をテーマに講演も聞きました。大ホールは立ち見が出るほどで関心の高さが伺えました。
2019年11月23日、御坊市人権啓発推進協議会(岡野博美会長)主催で、北朝鮮による拉致被害者で、17年前に帰国した蓮池薫さんの講演会を開催しました。蓮池さんは「夢と絆~翻弄された運命の中で」と題し、御坊市民文化会館の大ホールは満席でした。
拉致されたのは、大学3年生だった1978年7月、新潟県柏崎市の実家に帰省し、当時交際していた妻の祐木子さんと海岸にいたときのことを「北朝鮮の工作員が『たばこの火を貸してほしい』と近づいてきた。ライターを渡した瞬間、背後からいきなり顔面を殴られ、ものすごい力で組み伏せられた。私と彼女は引き離され、私は袋詰めにされて日本の漁船に偽装した高速船に乗せられ、眠り薬を注射され意識がもうろうとなった。目が覚めたとき、そこは北朝鮮のアジト(招待所)だった」そうです。1年9ヶ月後、日本へ帰ったと聞かされていた祐木子さんと再会、結婚。北朝鮮に拉致された人は「夢を奪われ、家族との絆も断ち切られ、命以外のすべてを失った」と。最後に「北は日本の被害者を返せという世論が小さくなるのを待っている。そうなるのを阻止し、北が拉致被害者を帰国させないと仕方がないと思うまで、私たち日本人は声を上げ続けなければならないんです」と熱く訴えました。
講演会に先立って、控室で蓮池さんと岡本俊次氏との対談を実施できました。岡本氏は、印南町出身で、読売テレビで40年にわたりドラマ制作のプロデューサー、ディレクターとして約1千本のドラマを制作しています。その中に横田早紀江さんの原作で2003年5月14日にテレビ東京系で放送された『北朝鮮拉致・めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる』というドキュメンタリードラマがあります。横田滋さんを演じる加藤剛主演、竹下景子、風間杜夫、長門裕之、南田洋子、田村高廣、高松英郎、正司歌江、泉ピン子、三浦浩一などが出演しています。
私は、2010年12月印南町へ講演に来られた岡本氏と交流を持っていたので、たまたま昨年11月印南町に帰省されていた時、蓮池さんの講演会のポスターを見つけ、御坊市役所に問い合わせがあり、私が副会長ということで控室にご案内させていただきました。ドラマの制作にあたって蓮池さんのご両親にインタビューしたことや被害者家族が高齢化して一刻も早く解決してほしいなどと話しておられました。
未帰国の政府認定拉致被害者家族の「親世代」で存命なのは、めぐみさんの母親・横田早紀江さんと有本恵子さんの父親・明弘さんだけになりました。生きている間に娘に再会を願っていた横田滋さんの死亡は無念ですが、国民一人一人が、自分の家族が拉致されたらと想像して他人事ではなく帰国を待ち望みたいものです。