五代様に会えた  ~大阪取引所を見学して~  
御坊市消費者学習会 柳岡克子
 9月9日、御坊市消費者学習会で大阪取引所を見学しました。ライオン橋と言われる難波橋の南東に建つ楕円形のレトロな建物は、昭和10年に竣工後、旧大阪証券取引所の外観が地上部分はそのまま残っています。天井も小判型で縁起を担いでいるらしい。玄関ロビーには左右対称の美しいステンドガラスの窓ガラスがありました。ここは年明けの大発会の様子として、着物姿のOLらが一斉に手打ちをする姿が毎年テレビで放送されます。天井からは、JPX(Japan Exchange Group, Incorporated)日本取引所グループの旗がぶら下がってました。1階アトリウムの壁面には、黒地に青の大きな先物・株価ボード5m×3mの巨大な先物・株価ボードが掛けられていました。株式や先物・オプションの市況情報をリアルタイムに表示しています。現物市場は日経平均株価構成銘柄、JPX日経インデックス400構成全銘柄および関西企業の株価を見ることができます。何秒かおきに、「日経平均採用銘柄の株価ボード」と「先物関連のボード」の表示が、一斉に切り替わっていました。
大阪証券取引所は明治11年(1878)に創立し、取引開始から約130年もの間、大阪経済の中心地として発展してきました。大阪証券取引所は略して大証で、東京証券取引所(東証)、名古屋証券取引所(名証) と共に日本の三大市場と言われています。
 平成25 (2013) 年に東京証券取引所と大阪証券取引所が統合し、JPX_日本取引所グループが発足し証券(現物)は東京が、先物取引などの金融派生商品を大阪が扱う事になり、大阪証券取引所は翌年名称を「大阪取引所」に変更しました。金融派生商品(デリバティブ)には、将来の売買についてあらかじめ現時点で約束をする先物取引や将来売買する権利をあらかじめ売買するオプション取引があります。
 エレベーターで上がって「OSEギャラリー」を見学しました。ガラスケース越しに、大阪株式取引所設立当初の文献や立会場の変遷や昔の株券が展示されていました。ここでは、シミュレーション端末で、株式やデリバティブの模擬売買を体験しながら取引の仕組みを学ぶことができます。私たちは難しいことよりハンドサインの解説が面白かったです。昔は、証券会社の売買担当者手のサインだけで株式の銘柄と買値・売値を取引して売買をしていました。平成11(1999)年、売買の全面システム化によって売買は全てコンピューターによる電算処理で行われ、このような光景を見ることができなくなりました。
 大阪取引所の正面には2004年に建立し3mを超える大きな五代友厚の銅像が立っています。五代友厚は薩摩藩士で明治維新の頃活躍し、大阪商工会議所の初代会頭となり、大阪証券取引所の設立発起人として大阪経済界を支えた重鎮の一人です。NHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」でディーン・フジオカさんが演じたことで名前が知られることになり、ドラマのおかげで大阪取引所の見学者数は一気にUPしました。「五代様」と親しまれ、49歳で亡くなったのですがドラマで見られなくなった時には「五代ロス」という言葉ができたぐらいです。「東の渋沢、西の五代」というように、明治維新後に日本経済界に多大な功績を遺した渋沢栄一が新1万円札の顔に決まり、NHKの2021年の大河ドラマ「青天を衝け」(吉沢亮主演)でも登場するかもしれません。私たちは五代様の銅像の前で写真を撮り大満足でした。
 午後は、奈良へ移動して東大寺の大仏を見学しました。数年ぶりだという人も語り部の話を熱心に聞きながら鹿せんべいをあげていました。柱の穴をくぐり抜けると「無病息災」「祈願成就」のご利益があると言われ、大仏さんの鼻の穴と同じ大きさ(縦37センチ × 横30センチ/直径120㎝)柱の穴を外国人が楽しそうにくぐり抜けるのを眺めていました。