チャレンジは果てしなく ~御坊市議会議員選挙に立候補して~  
御坊市議会議員落選者 柳岡克子
 平成最後の新年を平穏に迎え、家族で大阪へ初詣に行きました。家族そろって健康で新年を迎えられた喜びに感謝しました。年賀状を見ながら寝てしまい目が覚めかけたとき、夢を見ました。母方の祖父、柳岡哲量が私に「チャレンジをやめてはいけない。御坊に恩返しをしなさい」と。初めは何のことかわかりませんでした。夢って深層心理が出てくることがあるようですが、私の心の中で、もやもやしたものがあったのかもしれません。
 年末まで、御坊市議会議員選挙のことで定員削減案が否決され14人の定員のまま14人が立候補の予定で無投票の公算が強くなっていました。私は、市政にも現職の議員にも不満はありませんでした。このまま1月13日が来れば何事もなかったかのように4年間が過ぎていきます。
市議会議員は、市民の声を聴いて、市政に反映させるのが仕事ですが、議員がどのような考えを持ち、どのような取り組みをして貢献してくれているのかが、市民に見えていませんでした。議員と市民の距離が遠いのです。新人の方は、大きな組織の中で早くから挨拶されていました。選挙を見越して後援会活動を活発にされている方もいました。しかしながら、御坊市には議員全員が掲載されている議員活動を市民に知らせてくれる「市議会だより」のようなものはありません。個人的なリーフレットや政党が発行するパンフレットの中でしか議員の顔が見えないのです。議員の一般質問を御坊市のホームページを開いてみても質問をしない議員の考え方はわかりません。市民の声を聴いてもらう議員がどこにいるのか?その議員がどんな方なのかの確認もできないまま14人が選ばれてしまうのは市民にとって良いことなのか疑問でした。
 祖父は、御坊市が旧御坊町のころから議員をしていました。常照寺の五男の僧侶で、農協の組合長もしていて私は尊敬していました。通知表を見せて良かったらお小遣いをもらうのがうれしくて勉強を頑張りました。「男の子だったら、わしの後継者や」と男女共同参画などという言葉もない頃に議員は男性がやるものという意識の中で残念がられました。
そんな祖父が、夢に出てくるなんてご先祖様が私を動かしている。何かアクションを起こせと言っているような気がしました。無投票を阻止するために立候補をするのが良いのか悩みました。私は、12年前42歳で立候補した時、父の弟も同時に出馬し落選しています。車いすで御坊市内を回るのが大変でした。12年経って体も動きにくくなっています。父母も高齢となって、なにしろ告示まで9日でした。まずは家族に話しました。立候補するからには当選を目指してチャレンジしなければ支援者に失礼に当たる。支援してくれる方がいるかどうかにかかっている。ということで御坊市身体障害者福祉協会の会長に相談しました。時間がないので会としてではなく個人的に後援会長を引き受けてくれました。そして、4日に出馬表明をしました。あくる日は、自由民主党和歌山県連の年賀会でした。多くの方が私の立候補のことを知ってくださっていて励ましの言葉をいただきました。急だったので前回のような推薦をいただけませんでした。
 いきなり選挙戦になることになったので、街中が大騒ぎとなりました。7日にもう一人立候補され2人超過の超短期決戦が始まりました。私は、13日の出陣式で長い間あたためていた抱負を語りました。御坊市に対する理想でもあり願望でもあり夢でした。他の候補者もそれぞれ自分の目指す御坊について支援者に語り始めました。選挙に関心のなかった若い人も自分の生活がどんなに変わっていくかに1票の重みを感じ始めました。名前の連呼によって候補者の名前が浸透しました。
 私は、当選したら市議会議員の名刺で今まで門前払いだった方と挨拶できるかもしれない、御坊市の現状を聞いてもらえるかもしれないと思いました。御坊を良くするためのアイデアを出してくれる方々にも会えるかもしれない。そんなことを考えながら具体的な施策を掲げました。時間もなく、私の考えを聞いてもらうすべがなく街頭演説をしました。それをFacebookとLINEとホームページに投稿しました。最終日には電動車いすで地域を回らせていただき、スーパーでお礼の言葉を言わせていただきました。急だったにもかかわらず支えてくださった皆様の優しさに涙が出てきました。
 結果的に最下位当選者に12票及ばず落選しました。支援してくださった方々に申し訳ない気持ちでいっぱいです。しかし、落選を知った多くの皆さんから、「立候補は無駄ではなかった」とのお言葉をいただきました。私が議員になってやりたかったことを2週間で実現しました。それは、地域のつながりを深めること。それぞれの選挙事務所で集まって話をすることで近況報告できたと思います。地域の活性化。選挙にまつわる消費が増えたのではないでしょうか。若い人の政治参加。18歳から投票できるようになり初めて投票ができた人もいます。高齢者や障害者にやさしい街に。1票の重みを感じたら投票のサポートを惜しまない市民が増えたのです。当選された方々には、これからの議員活動に期待します。私の分も頑張ってください。
 御坊市民を巻き込んでしまった大騒ぎの顛末は、私の人生の宝物になるでしょう。あらためて家族や支援してくださった方々に感謝申し上げます。「御坊市議会議員落選者」という肩書の名刺を作ろうかな?こっちの方がインパクトあるかも。