今年を振りかえる ~平成最後の年末を迎えて1年を振りかえる~  
車いすの元気配達人 柳岡克子
 歳を取ると1年が早く過ぎる感じがするといいますが、その通りあっという間に年末となりました。去年の暮れから、100人ゴスペルコンサートの練習に明け暮れていて、真冬の雪の中にもかかわらず、マリーナシティーが一杯になる大盛況で1月が過ぎました。
 2月に近畿薬剤師合同学術大会があり京都へ行き、バリアだらけの会場とホテルに苦労しました。独立型社会福祉士養成研修で東京へ行き社会福祉士事務所を開業しました。3月には、紀州文化の会発行の「あがらの和歌山 紀州の女性 第二集」に私の講演が紹介されました。また、和歌山県防衛協会青年部会で長崎佐世保の海上自衛隊佐世保資料館(セイルタワー)を見学しました。火山の噴火で飛行機が遅れたり、拾ってくれた方がいて幸い見つかりましたがカードケースをなくしたりで大騒ぎになりました。
 4月には、公益社団法人日本オストミー協会和歌山県支部の総会の準備と新しい取り組みの事業計画を立てました。将来、自分でストーマケアができなくなった時のために看護師などの医療従事者じゃなくてもヘルパーや介護福祉士が対応できることを知ってもらうための研修会を和歌山県訪問介護事業所の研修の中にストーマケアを取り入れてもらいました。10月に、御坊市との間で、県初となる災害時、自分のストーマ装具を避難所に備蓄しておく制度の覚書をしました。また、10月6日は世界オストミーデーということでオストメイトについて知ってもらうためチラシや啓発ティッシュも作り配布しました。
 5月には、突発性難聴で長年聞こえにくかったのですが、嫌だった補聴器を付けることにしました。以前よりよく聞こえるようになりました。6月には、15キロのダイエットに成功し50キロを切りました。続けることの大切さを感じ、去年から始めたブログも続けることにして「柳岡克子の生い立ち」を毎日1つ投稿しています。7月、母の手足が動きにくくなり、病院へ付き添いました。その時のエピソードが産経新聞1面の「夜明けのエッセー」に「母の付き添い」という題で掲載されました。8月に、母が入院し、首の手術をしました。母の留守に台風20号で水道管が破裂し、私の部屋が雨漏りで水浸しになり、パソコンが壊れ大変なことになりました。そんな中も家事をこなし、忙しい日々を送りました。
そこで川柳1句「手料理は真夏の鍋にしておこう」ここちよしこ作。
 9月に母が退院し、奇跡的に回復しました。私は、全国講師オーディションの予選に出場し8分の講演の動画を撮影しました。10月、講演の仕事をしながら、介護支援専門員(ケアマネジャー)の資格更新研修で和歌山へ10日通い、成年後見の資格を取るのに大阪へ5日通って「ぱあとなあ」に登録しました。11月KBS京都テレビ「びわ湖バイタル研究所」と京都のインターネットGIGラジオに出演し、御坊の魅力を語りました。
12月、講師オーディションの全国大会に出場できませんでしたが、500人を超える方々に視聴していただき、112人に投票していただきましたことに改めてお礼申し上げます。でも、様々なことにチャレンジする姿が多くの人に勇気を与えるとして、仁坂知事から初めての着物姿でチャレンジ賞をいただきました。父母には苦労をかけましたが、私を育ててくれて、父は、県庁を退職後、御坊市障害児者父母の会の会長や県の副会長をするなど障害者のために活躍したとして厚生労働大臣賞をいただきました。母と天皇陛下に拝謁できたと喜んでいます。
祝日に国旗を揚げる会では、200本の国旗を販売することができ、祝日には日の丸がたなびく街並みになりました。来年3月10日(日)午後1時半から御坊中央公民館で「憲法について考える講演会」を開催します。いよいよ憲法改正について真剣に取り組まなければならない時期がきました。講師は、日本会議大阪事務局次長で皇室に詳しい憲法研究家の丸山公紀氏です。憲法改正したら日本はどうなるのか?皇室・憲法・自衛隊について一緒に学びませんか?
 このように振り返ると、困ったこと、しんどかったことや残念だったこともあったけど、一つ一つ乗り越えてうれしいこともたくさんもらえたと思います。いろいろあって人生かなと。それぞれに皆の支えがあったことに感謝して、新しい年も元気を配達できるようにがんばりたいと思います。