茨城県阿見町から平和を祈る  ~予科練平和記念館を見学して~  
和歌山防衛協会青年部会 柳岡克子
 3月5日6日、成田空港集合だったので、インターネットで関空~成田間の飛行機を初めて自分で手配して防衛協会の冬季研修に参加しました。電車で行こうか関空まで送ってもらおうか悩んだ末、車で行って駐車場に車を一泊させるのが一番楽で安価だとわかりました。
 防衛協会の研修ということで、茨城県にある航空自衛隊百里基地を見学しました。TBSドラマ『空飛ぶ広報室』の撮影も行われた基地です。基地正門横の雄飛園に、F-1やF-4など実物の航空機8機を展示していました。関東で唯一の戦闘航空団が所在する航空基地です。航空自衛隊唯一の偵察航空隊が所在していて領空侵犯措置や航空偵察の任務が与えられ、昼夜の区別なく緊急発進する態勢を維持しています。また、百里救難隊は航空救難、災害派遣のための訓練と待機を実施しています。
 夕食は「霞月楼」という霞ヶ浦海軍航空隊副長だった若き日の山本五十六が愛用した料亭でした。御馴染みだった士官達も、特攻隊として次々と戦死され、その頃の送別の宴に際して、屏風に残された寄せ書きも見せていただきました。
 6日は予科練平和記念館の見学をしました。記念館は、平成22年2月戦史記録を保存・展示するとともに次の世代へ精確に伝承し「命の尊さ」「平和の大切さ」を考える施設として開館しました。
「予科練」とは、「海軍飛行予科練習生」及びその制度の略称で、第1次世界大戦以降、航空機の需要が世界的に高まり、欧米列強に遅れまいとした日本海軍が、より若いうちから基礎訓練を行って熟練の搭乗員を多く育てようと、昭和5年に教育を開始しました。14歳半から17歳までの少年を全国から試験で選抜し、終戦までの15年間で約24万人が入隊し、うち約2万4千人が飛行練習生過程を経て戦地へ赴きました。なかには特別攻撃隊として出撃したものも多く、戦死者は8割の約1万9千人にのぼりました。
 予科練志願者のあこがれであった「7つボタン」は世界7大洋を表したもので海を越えて大空を駆け巡る大いなる期待が込められています。そこで7つのテーマ「入隊」「訓練」「心情」「飛翔」「交流」「窮迫」「特攻」に沿って展示されていました。また、隣の雄翔館では、予科練戦没者の遺書・遺品約1700点が展示されていました。
 まだあどけなさの残る少年が学力・体力共に難しい選抜試験に合格して入隊し、搭乗員となるために訓練し、日本のために散っていった事実を平和となった今の日本人が忘れてはならないと思いました。特攻の出撃地の知覧や鹿屋にも行きましたが、ここもまた戦争の歴史を語り平和を祈る大切な場所だと思いました。
 午後からは、宇宙航空研究開発機構(JAXA)を見学しました。JAXAは、2003年に宇宙科学研究所(ISAS)、航空宇宙技術研究所(NAL)、宇宙開発事業団(NASDA)の3機関が統合して誕生しました。私達が見学した筑波宇宙センターは筑波研究学園都市の一画にあり、1972年に開設しました。約53万平方メートルの敷地に、研究学園都市にふさわしい緑ゆたかな環境と最新の試験設備を備えた総合的な事業所です。①宇宙からの目となる人工衛星の開発・運用およびその観測画像の解析②「きぼう」日本実験棟を用いた宇宙環境利用や宇宙飛行士養成と活動推進③ロケット・輸送システムの開発と技術基盤確立のための技術研究推進を行っています。展示館(スペースドーム)では、「きぼう」のモデルや縮小したロケットを見ました。分厚くて固い宇宙服の前で記念撮影しましたが重さが100kgを越え、値段は12億円とはビックリしました。
 帰りに牛久阿弥陀大佛を拝むことができました。これは日本の茨城県牛久市にあるブロンズ(青銅)製大仏立像で、全高120m(像高100m、台座20m)あり、1995年「青銅製立像」で世界一高いとしてギネスブックに登録されています。浄土真宗大谷派本山東本願寺によって造られました。仏様にも平和をお祈りしました。
 一面がれんこん畑の広大な平野から霞ヶ浦をながめながら茨城県を後にしました。とても有意義な研修でした。