チャレンジは果てしなく  ~NHK障害福祉賞50年発行裏話~
第33回優秀賞 柳岡克子
 NHK厚生文化事業団が募集した第33回NHK障害福祉賞(1998年度)の障害児者本人部門応募数275編の中から優秀賞に選ばれて17年が経ちました。50年で1万編を越える応募があったそうです。この度、50周年記念として受賞した人の中から、受賞後の様子を綴ってほしいとの依頼がありました。そこで「チャレンジは果てしなく」という題で、受賞後17年間について書かせていただきました。50人の中にそれが採用され、「私の生きてきた道50のものがたり」~受賞者のその後~ということで作品がNHK厚生文化事業団のホームページに掲載されました。それが好評でインターネットで見られない人のために出版の話が持ち上がり発行されることになりました。
 受賞作品は、手足に重度の障害を持って産まれた時から、パラリンピックをめざしてアメリカUSオープンの障害者卓球で3位になったところまでの生い立ちでした。今回は、その後NHK教育テレビ「きらっといきる」に出演しそれがきっかけで講演活動を始めたこと。大病を患い入退院を繰り返し悩み続けたこと。それらを乗り越え資格試験にチャレンジした話です。講演や様々な活動については、折に触れマスコミに取り上げられましたが、難病との闘いについてあまり知られていませんでした。今回病気を克服したことで思い切って振り返ってみることにしました。
 17年前、受賞者の中からNHK教育テレビ「きらっといきる」にゲストとして出演することになり4日かけて私を密着取材してくれました。母も「障害のあるお子様を産んで大変でしたね?」とインタビューされ、「歩けたことも喜び、学校に行けたことも喜び、仕事が出来るようになったのも喜びで、60点ぐらいの普通のお子様なら40点の喜びをもらえますが、0点の仮死状態で産まれゼロからスタートしたので、100点分の喜びをいただけて私は幸せです」と答えました。母は、放送を楽しみに友達に「テレビ出るから見てね」と触れ回り、オンエアでカット。私は「大変でした」と涙の一つでも流しておけばカットされることはなかったのではないかと思いました。苦労した母親でないと絵にならないのです。きっと苦労はしているでしょうが、母には吹き飛ばす明るさがあり障害者の番組にはふさわしくなかったのでしょう。スタジオ収録の際、「夢は何ですか?」と聞かれ、「メダルを取って日の丸を揚げたいです」と言ったら「微妙な時期なのでそのセリフはカットされるかもしれませんよ」と言われました。幸い収録と放送日の間に国旗国歌法案が可決される見通しとなりオンエアされました。
 今回原稿を送るにあたってやりとりした裏話です。「現在一番熱心に取り組んでいることは何ですか?」との質問があり、「日本会議和歌山女性の会の副会長として憲法改正の運動をしています」「祝日に国旗を揚げる会を設立し、街中に日の丸が揚がるのが楽しみです」と書いたら、「文字数に制限があるので」と前置きしたうえで削除されました。
「障害の上に難病になった時どう思いましたか?」と聞かれ「間一髪のところで命を助けていただき、神様・仏様・ご先祖様に守られているように思いました」と書きました。そうしたら「宗教的なことは控えてください」だとさ。「では病気以外で17年の間でつらかったことにも触れてください」と。つらかった部分を乗り越えたというイメージを作りたいようでした。それで「市議会議員の選挙に立候補して50票足らずで落選したことです」と書いたら、「障害者の本なので、政治的なことには触れないでください」だとさ。普段は冷静な私もムカッとして「障害者が政治に関心を持ってはいけないのですか?」と返してしまいました。大人気なかったけどこのようなやり取りをしながら、NHKのイメージに合わせた本が完成しました。あくまでもNHK厚生文化事業団が発行する本なので、私のすべてが網羅されたわけではありませんが、掲載されてうれしいです。
 本は367ページからなり、様々な障害を乗り越えた方々の作品が収録されています。私は、268ページから273ページまでの6ページに渡って掲載されています。後ろには、受賞作品のCDがついていて懐かしく思い出されます。非売品ですが、図書館と学校に寄贈させてもらいました。
 原稿は、インターネットからご覧いただけます。http://www.npwo.or.jp/50stories/