防衛省から平和を祈る    〜東京研修に参加して〜
和歌山防衛協会青年部 柳岡克子
 3月8日・9日と東京へ研修に行ってきました。早朝なので父に関空まで車で送ってもらい、母と一緒に約1時間で羽田へ着きました。
8日は神社に参拝。まず、近代国家として歩み始めたわが国の存亡が大きくかかった日露戦争において、陸軍の指揮を執り旅順要塞を陥落させた乃木希典陸軍大将が祀られている乃木神社に参拝しました。明治天皇の崩御の際に静子夫人と殉死した乃木の邸宅であった場所の隣にあります。境内には乃木大将が師事した玉木文之進とその甥の吉田松陰を祀る正松神社もありました。
 その後、日露戦争で聯合艦隊司令長官として、大国ロシアのバルチック艦隊を撃滅して世界の海戦史上空前絶後の完全な勝利を成し遂げた東郷平八郎元帥海軍大将が祀られている東郷神社を参拝しました。日露戦争に勝利したことは、わが国を国難から救っただけではなく、当時ロシア等大国の植民地政策の圧力下にあった国々に、 大きな喜びと希望を与えました。
 午後からは、明治以来の国難に殉じた同胞が祀られている靖国神社を正式参拝し、遺品展示館である遊就館では『大東亜戦争70周年 最終章〜今を生きるすべての人へ〜』特別展をはじめ館内を展示課長の御案内で詳しく説明して頂きながら拝観し、英霊の遺勲に触れました。前回は一人で回りましたが今回はポイントがわかりやすく丁寧だったので時間がいくらあっても足りませんでした。
 9日は、国防の拠点となる防衛省に行きました。入り口のセキュリティーが厳しかったです。まず見学した儀仗広場は、皇族や国賓などが、防衛省を公式に訪問または視察する場合、その途上を警衛し、敬意を表するための儀仗が行われる場所です。市ヶ谷記念館には、庁舎A棟の建設に伴い解体された1号館の象徴的な極東国際軍事裁判(東京裁判)の法廷として使用された大講堂があり、床板30センチ角のナラ材の7200枚のうち399枚以外は一枚一枚番号を付けて移設・復元されました。館内では、旧陸軍大臣室や陛下の御休憩所であった旧便殿の間や割腹自殺した三島由紀夫が演説したバルコニーやドアの傷跡を見学しました。厚生棟の売店で海軍カレーを買って休憩。厳しい訓練や長い航海の途中では曜日がわからなくなる時があるので、金曜日にはカレーを食べる伝統があるそうです。屋外ヘリ展示場は、陸上自衛隊で実際に使用されていた多用途ヘリUH-1H(ひよどり)の前で操縦席に座っての記念撮影もしました。メモリアルゾーンは、市ヶ谷地区内に点在していた記念碑などを集約・整備・再配置した場所です。警察予備隊創設以来、職務に殉ぜられた隊員の功績を永久に顕彰し、深甚なる敬意と哀悼の意を捧げる自衛隊殉職者慰霊碑に祈りました。
 ランチは時間の関係で登れなかったスカイツリーを目の前に食べました。午後からは、東京消防庁でいろいろな研修をしました。まず実際の火災をシミュレートした大型のスクリーンを相手に、消火器の使い方を体験しました。次に和歌山県は日本有数の台風上陸県であり、水害の多い県と言うことで暴風雨体験コーナーで強風大雨を体験し、そのすさまじさを知りました。また、都市型水害体験コーナーでは局地的集中豪雨や津波に関する映像を見て、地下のドアや自動車が浸水して水圧がかかっているドアの開放体験をしました。母は20センチまで開きましたが、私はドアも車も10センチが精一杯でした。これ以上の高さまで水が来ると車の場合は窓を割るなどして脱出しなければなりません。地震体験では、震度7までの様々な揺れを体験しました。
 有意義な研修を終え、夜大雨の中、父に関空まで迎えに来てもらい無事帰宅しました。
14日は、全国防衛協会連絡会青年部会第14回青年研修大会「大阪大会」と近畿ブロック防衛協会青年部会連絡協議会第9回青年研修大会「大阪大会」が開かれ、明治神宮武道場至誠館館長の荒谷卓氏の「世界に誇る日本の心」と題して記念講演を聞きました。日本人が持っている助け合い、譲り合いの精神は、素晴らしい精神だと改めて気付かせてもらいました。その後、記念式典や懇親会で交流を深めました。山口采希さんが「ありがとう、じえいたいさん」などを歌いました。
 15日は、大阪防衛協会50周年記念事業として防衛・防災フェスティバルがあり、午後からは、別の団体で、ひげの隊長として自衛隊イラク派遣では第一次復興業務支援隊長を務めた佐藤正久参議院議員の「中東情勢と我が国の安全保障」と言う講演を聞きました。
竹島や尖閣諸島・北方領土など実効的支配による領土危機やイスラム国などのテロ対策、政府による集団的自衛権の解釈変更など、国防に関して国民の関心が高まっています。今年は大東亜戦争から70年という節目の年でもありしっかり日本の守りについて研修することができました。