四国から平和を祈る   〜近代の歴史を学んで〜
和歌山県防衛協会 柳岡克子
 先日、香川、高知、徳島三県を巡る一泊研修に参加しました。四国といえば讃岐国に生れたお大師さま(弘法大師・空海)のご修行の地、四国八十八ヶ所霊場があります。日本各地や海外から大勢の方々が “お遍路さん” となって訪れる霊場です。札所の看板や巡礼者を横目に陸上自衛隊を見学しました。
 香川県善通寺駐屯地には、寄せ棟屋根、瓦葺、漆喰塗りの壁という和の要素も取り入れた西洋風建築の資料館があり、初代師団長乃木希典にちなんで「乃木館」と言われています。乃木はこの地から日露戦争に出征し、難攻不落といわれた旅順要塞を3回にわたって総攻撃し二百三高地を占領しました。敷地内には陸上自衛隊の戦車や戦闘機、ヘリコプターなど装備品が屋外展示されていました。ここで隊員と同じ昼食を食べ、有名な金刀比羅宮の奥社までの一三六八段にも及ぶ参道の長い石段の前を通り抜けながら高知へ向かいました。
 高知では、桂浜を散策し、「坂本龍馬記念館」を見学しました。龍馬は、武士の家に生まれ、武市瑞山を中心とした土佐勤皇党に加盟などの志士として活動のほか、貿易と政治の組織を結成など実業家としても活動しています。 その他、勝海舟などいろいろな人と交流を持ち、薩長同盟の仲介・大政奉還を成し遂げるために力を尽くしたなど、三十一歳の若さで亡くなったとは思えないぐらい明治維新に影響を与え貢献しました。
 楽しいホテルでの懇親会を経て、あくる朝、祖谷のかずら橋を渡りました。昼食後、徳島県藍住町の「藍の館」に行きました。藍の専門博物館として阿波藍の知識を普及するとともに、藍の生活文化の創造と藍の情報センターです。
 その後、鳴門へ向かい「バルトの館」に行きました。語り部がわかりやすく説明してくれたので、知らなかった歴史を学びました。平成十八年(二〇〇六年)公開の映画「バルトの楽園」の撮影に使われたオープンセットで、大正時代の板東俘虜収容所の風景が再現されています。映画「バルトの楽園」は、板東俘虜収容所の所長だった松江豊寿の人間愛を描いたものです。第一次世界大戦中に、ベートーヴェン作曲「第九交響曲〜歓喜の歌」が日本で初めて板東で演奏された史実を、ドイツ兵と板東の人々との交流をベースに描いた作品です。松平健主演、坂東英二、高島礼子などが出演した百三十四分の映画です。ロケ村は、総工費三億円、六ヶ月かけて建設され、四十日間の撮影が敢行されました。
 そして、すぐ近くの「鳴門ドイツ館」に行きました。大正三年(一九一四年)、第一次世界大戦で日本軍は、ドイツの租借地であった中国・山東半島にある青島(チンタオ)を攻略しました。その時、敗れたドイツ兵約五千人が俘虜となり、日本各地の収容所へ送られました。そのうち、四国の徳島・丸亀・松山にいた約千人が大正六年(一九一七年)から約3年間を鳴門・板東俘虜収容所で過ごしました。板東の町では、俘虜たちを「ドイツさん」と呼び、彼らとの間で日常的な交歓風景があたりまえのように見られるようになったそうです。館内の展示資料からは、当時の収容所生活のほか、牧畜・製菓・建築・西洋野菜栽培・音楽・スポーツなどドイツの進んだ技術や文化を取り入れようとした当時の様子がうかがえます。ここの売店で、「バルトの楽園」のDVDを購入し、帰りのバスの中で皆で観ました。
二日間の研修旅行で四国を満喫しました。お遍路さんのことも乃木希典も坂本龍馬も板東俘虜収容所のことも知りませんでした。教科書では学べなかった幕末・明治維新から近代の歴史を勉強するいい機会となりました。