障害があってもいきいきと  〜10年間の会長を引退して〜
御坊市身体障害者福祉協会 会長 柳岡克子
 平成16年4月29日の総会で、御坊市身体障害者福祉協会の会長をさせていただくことになり10年が経ちました。
 交通事故で義足となった祖母がずっと会員だったのですが亡くなってしばらくしたころです。当時の会長さんから「孫も障害者やと聞いている」と尋ねて来てくれました。「和歌山県で行われる国体予選のスポーツ大会の選手を探していて出てみないか?」ということでした。私は、水泳の選手として参加するに当たり会員になりました。その後、卓球の選手になるのですが、まだ20代でした。障害者の大先輩に地域のことや障害者の悩みなどを教えてもらいました。その後、役員となり身体障害者相談員や肢体障害者部会長になり、県の会議にも出席するようになって親しくしていただける友達もできました。
 そして、10年前、会長になりました。まだ30代で女性では初めてでした。御坊市には約1800名の身体障害者手帳の保持者がいます。しかし、個人情報保護法ができ、誰が持っているのかどこに住んでいるのかわかりません。市役所は公表できないのです。会員は年々高齢化しお亡くなりになる方が増えています。新しい会員を増やしたくても自主的にお問い合わせいただかないと話をすることもできません。そんな中、会のことを多くの人に知っていただき、会員になって皆で障害を分かち会える団体にしたいと思いました。
 それには資金が必要です。行政からの補助金や年500円の会費では総会のお茶と記念品で消えてしまいます。そこで回覧版に通信販売の申し込み用紙を挟んでいただくことで収益金の3%を会に寄付していただく事業を和歌山県身体障害者連盟と共同で始めました。自治会長様や班長様のご協力と購入していただいた方々のおかげで助かっています。また自動販売機の設置によって寄付金をいただけるようになり会運営がスムーズになりました。
 御坊駅のバリアフリー化にあたっては、何度もJRへお願いに行き、話し合いを重ねた結果、国も県も市町村もいっさいお金をかけず、全額JR西日本和歌山支社の負担でエレベーターは叶いませんでしたが、駅前の手すりとリフトを付けてもらうことができました。車いすの方に大変喜ばれています。その際、多くの方々の賛同と要望の声があったことに感謝します。
 御坊市身体障害者福祉協会には上部団体として和歌山県身体障害者連盟とその上に日本身体障害者団体連合会があります。障害者団体ができたころは、バリアフリーやノマライゼーションといった言葉もない時代でした。障害者にとって団結して訴えていかなければ制度改革など程遠い時代でした。それから、先輩方の努力のおかげで少しずつ法律が整い、障害者の人権も守られる世の中になってきました。そうなると団体に所属して一致団結して訴える意味が薄れてきました。500円の会費を集めるにあたって、メリットを聞かれることがあります。会の行事に参加して、皆と顔を合わせておしゃべりしながら元気をもらう。出て来ていただかなければ会報をお配りするだけとなります。
 それでも会員になってくれた方に楽しんでいただけるよう、日高郡身体障害者連盟と一緒に日帰り研修旅行を企画したり、つながり文化祭・サマースクール・ふれあい交流会に参加したり、スポーツ教室をしたり、御坊市の出前講座を開催したりしました。参加してくれた方々は、「外へ出る機会が少なくなってきたけど楽しかった。」とか「障害者同士なんか心がうちとけた話ができた。」とか「友達ができた。」とか好評です。
 私は、ちょうど卓球を引退した10年前から車いすを使うことが多くなりました。初めは恥ずかしい気持ちでしたが思い切ってショッピングセンターへ行って吹っ切れました。普通は車いすになったから人のお世話なんかできないと思うかもしれません。私は、車いすを使うようになったから車いすの方々の気持ちがわかるようになったので、あえて会長を受けさせていただきました。
 この度、私は会長を引退し、裏方として会運営を見守らせていただくことにしました。障害者の活動にご協力・ご支援いただきました皆様方に紙面をお借りして感謝の気持ちを申し上げます。ありがとうございました。