知覧から平和を祈る〜永遠の0を観て〜
和歌山県防衛協会青年部 柳岡克子
 1月に、百田尚樹さんのベストセラー小説「永遠の0(ゼロ)」の映画を観ました。「V6」の岡田准一主演、山崎貴監督が映画化した作品です。司法試験に落ち続け、人生の目標を失いかけた佐伯健太郎(三浦春馬)とフリーライターの姉慶子(吹石一恵)は、実の祖父だと思っていた賢一郎(夏八木勲)とは血のつながりがなく、本当の祖父は太平洋戦争で特攻により戦死した宮部久蔵(岡田准一)という人物であることを賢一郎の妻松乃(井上真央)の死後しばらくして知ります。祖父について調べるため元戦友たちを訪ね始めた2人は、宮部は「生きて妻のもとへ帰る」と公言し続けた凄腕の零戦パイロットであったことがわかります。そんな宮部がなぜ特攻に志願したのでしょうか。やがて戦後60年(原作2006年)にわたり封印されてきた驚きの事実が隠されていました。
神風特攻隊とは、零戦に250s爆弾を抱かせて体当たりて突撃し敵をやっつけるのです。戦火が悪化し帰りの燃料も積めず突撃しかなかったのです。若い隊員は、死を覚悟の上、国のためにと自ら志願し特攻で尊い命を失いました。
百田さんは、戦争を経験した世代と子どもの世代をつなぐ作品を描きたいと考え、908人が特攻出撃した鹿屋(かのや)基地を映画の舞台に取り入れたそうです。
 27日、8日和歌山県防衛協会青年部の冬季研修として、海上自衛隊鹿屋航空基地を見学しました。鹿屋航空基地は、知覧からは鹿児島湾を挟んで大隅半島側にあり、昭和11年鹿屋海軍航空隊に始まり多くの戦闘に参戦しました。それらに従事し、捧げた尊い命を悼み、多くの歴史を伝えるため、昭和47年に史料館を設立し、平成5年には、改めて旧海軍航空隊の興亡の軌跡と、戦後の海上自衛隊航空部隊の歩みを伝え、国を守ることをわかりやすく理解できるよう、新史料館を開設しました。館内には旧日本海軍創設期から第二次大戦にいたるまでの貴重な資料のほか、「永遠の0」にも登場する「零式艦上戦闘機五二型」、特攻隊員の遺影や遺書などが展示されていました。そのほかにも1階では、海上自衛隊の活動状況が紹介されていました。
 鹿屋を後にして、噴火している桜島を見学し、翌日、知覧特攻平和会館へ行きました。こちらの方が有名なだけに観光客も多く人で一杯でした。まず語り部による特攻の歴史背景と特攻隊員の遺書・手紙などの特色について30分間ほど解説を聞きました。その後資料館を回りました。鹿屋と同じような隊員の遺影と家族・知人に残した遺書・手紙・辞世・絶筆等が展示してあり一つ一つ時間の許す限り読みました。
 映画で突撃のシーンを観ていたので、死を覚悟して国のため、家族のため戦ってくれた若き隊員の心の内を思うと涙があふれて止まりませんでした。素晴らしい日本の繁栄を祈りながら逝った人。愛する恋人や妻や子に宛てた手紙。特に感動したのは、母への思いを綴った感謝の手紙でした。その中で一つ「母を慕いて」という継母への手紙を紹介させていただきます。

相花信夫(少尉 昭和2054日出撃戦死 宮城県出身18歳)

母上様御元気ですか
永い間本当に有難うございました
我六歳の時より育て下されし母
継母とは言え世の此の種の母にある如き
不祥事は一度たりとてなく
慈しみ育て下されし母
有難い母 尊い母
俺は幸福であった

ついに最後迄「お母さん」と呼ばざりし俺
幾度か思い切って呼ばんとしたが
何と意志薄弱な俺だったろう
母上お許し下さい
さぞ淋しかったでしょう
今こそ大声で呼ばして頂きます
お母さん お母さん お母さんと
 

 午後からは、薩摩伝承館という薩摩の歴史と文化を伝える美術館で海外との交易で使ったとされる伝統工芸品の数々を楽しみました。夕方、指宿で砂風呂の砂に埋もれ、天候も良く穏やかな海を眺め、はるか遠くに散っていった若き命に思いをはせました。戦争を知らない世代が増える中、語り伝えていかなければならない歴史の重みを感じました。そして、英霊たちが願っていた素晴らしい日本の平和が続きますようにと祈りました。