ロンドンパラリンピックが終わって
  〜障害者スポーツあれこれ〜
元障害者卓球クラス6世界ランキング3位 柳岡克子
 8月29日から始まったロンドンパラリンピックは9日、閉会式が行われ、12日間の大会の幕を閉じました。パラリンピック発祥の地とも言われるイギリスで開かれた今回の大会には、史上最多となる164の国と地域からおよそ4,300人が参加しました。日本代表は16競技126人出場しました。和歌山県としては、橋本市出身の中村智太郎君が男子100メートル平泳ぎで銀メダルを取りました。両手がないというハンディーを克服してのメダルに県をあげて喜んでいます。文部科学省が策定したスポーツ基本計画では、パラリンピックのメダル目標を「前回大会以上」と掲げていましたが、17位だった北京大会の金5、銀14、銅8個の計27個より大幅に減少。金メダルが5個、銀メダルが5個、銅メダルが6個の合わせて16個で、北京大会より11減って23位となりました。国が強化に力を入れた前回の開催国、中国は231個、英国は120個と、その差は歴然。背後には、加速する競技のハイレベル化があります。スポーツ基本法の制定により、五輪選手の使う味の素ナショナルトレーニングセンターは、徐々にパラリンピック選手も使えるようになってきました。しかし、まだまだ国が力を入れて選手を育てるレベルに達していません。
 卓球の車いすクラス5で残念ながら予選敗退した別所キミエさんは参加選手で最年長の64歳ですが、彼女は43歳から障害者になり、卓球を始めたときからの友人です。卓球は今回3名しか出場できませんでした。しかし、昨年から10か国近くの世界大会に出場しましたが、それでもポイントが足らず選ばれなかった人が16名います。障害者が仕事に就くだけでも大変なのに、仕事を休んで世界中に試合に行かなければならないのは、厳しいです。実力だけでなく、お金と時間が必要です。卓球だけでなく多くの日本選手は「仕事と競技を中途半端にやっていては、もうメダルの取れない大会になった」とため息をついていました。
パラリンピックは、1944年、イギリスのグットマン医師は、スポーツを治療に取り入れる方法を用いてロンドンオリンピックにあわせてストーク・マンデビル病院内で車いす患者によるアーチェリー大会を開催したのが原点です。パラリンピックは障害者にスポーツ活動の機会を提供する理念「機会均等と完全参加」と、「障害者のスポーツのエリート性」を表す言葉になりました。脊髄損傷者だけでなく、手足の欠損や、脳性まひ、視覚障害などの障害者も出場できるようになり「もう一つのオリンピック」と呼ばれるにふさわしい、世界最高峰の障害者スポーツ大会へと発展し続けています。1988年、のソウルパラリンピックでは、オリンピックとパラリンピックを連動させオリンピックで使用した会場も使用できるようになりました。今大会は視覚障害者のゴールボールで金メダルを取るなど、今まであまり知られていなかった種目も注目され意義はありました。知的障害の競技が正式種目としてパラリンピックに参加できるようになったのは、アトランタパラリンピックからですが、シドニー大会で不正が発覚し、今回のロンドンで12年ぶり復活となりました。
 知的障害者にはパラリンピックとは別にスペシャルオリンピックスというのがあります。1968年、故ケネディ大統領の妹ユニス・シュライバーは、当時スポーツを楽しむ機会が少なかった知的障害のある人たちにスポーツを通じ社会参加を応援するため設立しました。スペシャルオリンピックス日本は、細川護煕元総理の佳代子夫人が名誉会長をつとめ、有森裕子が代表の公益財団法人として企業の寄付や協賛から運営しています。知的発達障害のある人が、様々なオリンピック形式のスポーツ・トレーニングや競技会に年間を通じて参加できるようにすることにより、彼らが健康を増進し、勇気を示し、喜びを感じ、家族や他のアスリート、そして地域の人たちと能力、技術、友情を分かち合う機会を継続的に提供する大会です。
 また、聴覚障害者は他の障害に比べて身体能力が高いことから、パラリンピックへの出場が認められていません。そのため、デフリンピックがあります。デフリンピックとは、英語deaf(聾(ろう)、耳が聞こえない)とolympic(オリンピック)を合成した言葉です。1924年にフランスのパリで始まった世界聾者競技大会のことです。障害当事者であるろう者自身が運営するろう者のための国際的な競技会であり、参加者が国際手話によるコミュニケーションで親睦を深められるところに大きな特徴があります。
 日本では、全国障害者スポーツ大会があり、1965年から身体障害のある人々を対象に行われてきた「全国身体障害者スポーツ大会」と、1992年から知的障害のある人々を対象に行われてきた「全国知的障害者スポーツ大会」を統合した大会として、2001年から国民体育大会終了後に、同じ開催地で行われています。大会の目的は、パラリンピックなどの競技スポーツとは異なり、障害のある人々の社会参加の推進や、国民の障害のある人々に対する理解を深めることにあります。障害別に細かくクラスが分かれているため、ほとんどがメダルか入賞できます。勝ったからと言ってパラリンピックにつながるものではありませんが障害者がリハビリの一環としてスポーツと出会い競技に入るきっかけになることもあります。私は、広島県で行われた大会に出場しました。平成27年に「紀の国わかやま国体」が開催されることになり、引き続き『紀の国わかやま大会第15回全国障害者スポーツ大会』が和歌山県で開催されることとなりました。応援よろしくお願いします。