高野山から平和を祈る
  〜自然と神仏習合の守りを求めて〜
日本会議和歌山女性の会 副会長 柳岡克子
 先日、「平泉‐仏国土を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-」がユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産に、「小笠原諸島」が世界自然遺産に、「炭鉱絵師・山本作兵衛の作品群」が世界記憶遺産に登録されました。同時期に3件も選ばれるなんて日本としてとても喜ばしいことです。世界遺産と言えば和歌山・奈良・三重県にまたがる「紀伊山地の霊場と参詣道」も平成16年に世界文化遺産に登録されました。自然崇拝に根ざした日本古来の神道と百済より伝来した仏教が結びついた神仏習合思想をよくあらわしていること、神社や寺院などの建造物が自然環境と一体となって文化的景観を構成していることなどが評価されたのです。
 7月30日、日本会議和歌山女性の会が主催する、和歌山歴史再発見!日帰りバスツアーで高野山へ行ってきました。昼食は宿坊としても多くの観光客が来るという真田坊蓮華定院で精進料理を食べました。私の大好物のさっぱりとした胡麻豆腐。のど越しのいいソーメン、高野豆腐、天ぷらなど肉や魚を使っていないにもかかわらずおいしかったです。こういう食事を続けていけば健康を保てるでしょう。ここは鎌倉時代の初め、行勝上人により創建され、室町時代の終わり長野県の豪族と宿坊契約を結びました。関ヶ原の戦いで敗れた豊臣軍に付いた真田昌之・幸村親子は徳川秀忠に付いた長男信幸の助命嘆願により九度山へ妻子を残し高野山へ蟄居を命じられました。それゆえ真田家の高野山での菩提寺としてゆかりの寺宝がたくさんあります。住職のお母さんの添田清美さんは大正9年生まれの91歳。東京女子大学を卒業され、英語が堪能で戦時中は敵国の言葉を習うとはと非難もされましたが戦後はGHQ相手の通訳もされ、蓮華定院に嫁いでからは、今も元気に英語で外国の人を接待しています。英語をしゃべるお婆さんと珍しがられテレビにも取り上げられました。瀬戸内寂聴さんの大学時代の先輩でお忍びで来られることもあるそうです。
 高野山は、今から1,200年前平安時代の初め、弘法大師(空海)によって開かれた日本仏教の聖地です。弘法大師は、国家安泰、世界平和、修行者のために、また人里離れた山奥に、真言密教の根本道場を建立する願いをもっておられました。西暦816年、嵯峨天皇から高野山を賜り、翌年登山し高野山金剛峯寺の開創に着手されました。奥の院では一の橋から御廟まで有名な企業の創設者や戦国武将などのおよそ20万基を超える墓石や、祈念碑、慰霊碑の数々が立ち並び、楽しい語り部さんの説明を聴きながら、樹齢千年を超える杉木立の中を2キロメートル程歩きました。高野山第二世真然大徳によって建立され、1,023年に藤原道長によって、ほぼ現在に近い大きさになったと伝えられている燈籠堂で平和を祈りました。
 高野山の帰り、丹生都比売(にうつひめ)神社に正式参拝しました。今から1,700年前創建され、丹生都比売大神は天照大御神の妹神で、神代に紀ノ川流域の三谷に降臨、紀州・大和を巡られ農耕を広め、かつらぎ町天野の地に鎮座されました。降臨した丹生都比売大神が遷座の地を探し求め、再び降臨したのが真妻山と伝えられています。丹生都比売大神の御子、高野御子大神は、密教の根本道場の地を求めていた弘法大師の前に、黒と白の犬を連れた狩人に化身して現れ、高野山へと導きました。弘法大師は、丹生都比売大神よりご神領である高野山を借受け、山上大伽藍に大神の御社を建て守護神として祀り、真言密教の総本山高野山を開きました。その後、丹生都比売神社を参拝した後、高野山に登ることが慣習になりました。元寇の役では祈祷を行い元軍が撤退したので、鎌倉幕府の崇敬が篤くなりました。これ以降、古くからの日本人の心にある祖先を大切にし、自然の恵みに感謝する神道の精神が仏教に取り入れられ、神と仏が共存する日本人の宗教観が形成されていきました。
 観光地として外国人観光客も多い高野山ですが、世界遺産としての魅力がわかりませんでした。今回丹生都比売神社でお話を聞かせてもらい、外国人にとって神と仏を一緒に崇拝する国が珍しいのだそうです。和歌山県にはこんなすばらしいところがあったのかとあらためて知り、歴史の深さを感じました。北部は高野山、南部は熊野古道と県下全域にわたって神仏に守られているのだということもわかりました。
 日本会議は神社庁に事務局をおきながらも仏教界など様々な団体や個人が日本の平和を祈っています。今、日本は国難ともいうべき、地震、津波、豪雨、台風などの自然災害や、政治、経済の混乱で戦時中のような厳しい状況に置かれています。そんな時こそ神仏の守りを頂き、祈りを捧げる時だと思います。