2、幼稚園の頃
 私が覚えているのは幼稚園の頃からで、歩き方をまねされて笑われた。友達もできたが、手のひらが開かないのでじゃんけんではいつも「グー」だと言われ、「パー」を出され負けた。この時、私は皆と違う体であることを感じた。和式ではおしっこが出来ない。おしっこが一人でできないことが不自由だということに気がついた頃だ。よくこけるし、こけても一人では起き上がれなかった。
 御坊幼稚園には母に送り迎えしてもらい通った。こけても一人で起き上がれない。それでもお箸と鉛筆だけは使えるようになりたいと何度も稽古した。かなりの練習の成果があってへたくそだったが読める字が書けるようになった。食事はスプーンやフォークでも食べられるので練習を怠けたが、持ち方よりつかめるようになることに目標を変え、何とか食べられるようになった。
 ちょうどその頃、祖母が交通事故で右足を切断し義足での生活になる。一緒にお風呂に入って義足を脱ぐと、ソーセージのように丸く足首はなく膝から下は細くやせていた。けれども、普通の人と同じようにがんばる姿に、幼な心に励まされたものだ。わが家には、二人の障害者がいたが決して特別扱いはせず、ごく普通の家庭だった。